まき子の「オーストラリア育児・教育あれこれ」
自分で考えて決める
オーストラリアの子どもたちは、小さい時から「自分で考えて決める」ことを学んでいる。自分の食べ物、飲み物を決めるのは、ごく小さい時からできる基本的なことである。
普段の生活でのこのような訓練が、「ひとりひとりの個性を認め合う」素地をつくっていくことにつながっている。
「飲み物は何にする?」
子どもに尋ねて1、2、3、4、5。5秒数えてみてほしい。じっと、5秒待てる人はほとんどいないはずだ。すぐ答えが返ってこないと「リンゴジュース?オレンジ?どっちなの。早く!」とせかす。子どもは一生懸命、考えているというのに。
私がオーストラリアに来たのは、12年前。離婚したばかりのオーストラリア人の男性の家にホームスティさせてもらうことになった。彼の子ども3人は、ふだんは母親と暮らし、週末だけ彼の元に来ることになっていた。
3歳、5歳、7歳とその父親、そして私ともう一人の学生の合わせて6人で食卓を囲む。父親が子どもに聞く。
「トーストにつけるのは何?」
「・・・・・」
返事はないが、考えている顔つきだ。父親は黙って待つ。子どもだって、真剣だ。いつもはイチゴジャムだけれど、たまには変えてみたい、今日の気分はマーマレードかもしれない、いや、はちみつもいいかな、やっぱりイチゴジャムにしようかな・・・。これだけ考えを巡らすのにはやはり時間がかかる。それを知ってか父親はただひたすら待っている。
これを3人にそれぞれ聞き、待つ。次に飲み物を聞き、待つ。飲み物を選ぶのだって一苦労だ。ジュースにしてもリンゴ、オレンジ、グレープフルーツとあるし、牛乳にしても、そのままか、チョコレートやバナナなどの粉末のフレーバーというのを入れたいかもしれない。
私は見ていてイライラし、気長に待てる父親が不思議でならなかった。日本の家庭ではどうだろう。お母さんが子どもに尋ねる前に、子どもの好み通りの飲み物が、もう既にテーブルの上に用意されているか、もしくは、「今日はリンゴジュースでいいわね?」と半分決めかかって聞いている人が多いのではないだろうか。
一つの例を挙げたのだが、オーストラリアの子どもたちは、小さい時から「自分で考えて決める」ことを学んでいる。自分の食べ物、飲み物を決めるのは、ごく小さい時からできる基本的なことなのである。
うちの子どもが通っていたプレスクール(Preschool : 日本の幼稚園の年中組に当たる。公立では午前中だけというのが多い)では、子どもひとりひとりが、おやつに果物を1個持って行くことになっていた。それを当番の親が食べやすいように一口大に切り、大皿に盛り付ける。子どもは一人ずつ先生に呼ばれて、大皿の前に立つ。そこで、食べたいものを言うと、先生が小皿に取ってくれるのだ。直径40センチもある大皿2つにはリンゴ、オレンジ、洋なし、ぶどう、パイナップル、すいか、イチゴ、メロン、バナナ・・・20人が持ち寄った、ありとあらゆる果物が山盛りになっている。
さあ、ここから食べたい物を、食べられる分だけ言わなくてはならない。小皿に取ってもらった物は、残さないようにしつけられ、お代わりはしてもいいことになっていた。
ここでも、やはり、「自分自身で決める」、「自分で決めたことには責任を取る」訓練を受けていると言える。また、果物といっても、人それぞれに好みがあること、食べられる量も人それぞれ違うことなどを、実際に見て知る。これは「ひとりひとりの個性を認め合う」素地を作っていくことにつながっていると思う。
日本ではどうだろう。一時帰国していた間、子どもを幼稚園に体験入学させてもらった時、たまたまお誕生会が開かれた。全く同じお菓子が同じ分だけ小皿に取り分けられ、既にテーブルに置かれていた。飲み物はみんな同じオレンジジュースが同じ量だけ・・・やはり、基本的なことが違っていると言わざるを得ない。
「子どもが決めるまで待つ」ーー簡単そうだが、私はなかなかこれができない。早く早くとせかしては反省し、待つどころか先回りしてやっては反省・・・の毎日だ。
主人は気が長いのか、それともオーストラリア生活が長く、そういった習慣が身についているのか、先のオーストラリア人の父親のように、じっと待てる。その上に、細かいことまで聞く。
「おしぼりは熱くする?冷たくする?」
「そんなの、どっちだっていいじゃない!忙しいのに、いちいち・・・。熱くすればいいのよ、熱く!」
間髪を入れずに叫んでいる私。しまった、また、やってしまった・・・ごめんなさい。
当エッセイは日豪プレス2000年2月〜7月に連載されました。今回、ご本人よりお寄せいただいた同原稿をもとに豪州屋にてHP作成&再公開したものです。
