まき子の「オーストラリア育児・教育あれこれ」
ゆとりある小学校教育
オーストラリアでは、教育制度は州によって異なるが、だいたい6歳から15歳までが義務教育で、小学校を卒業すると、日本の中学1年から高校1年に当たる「セカンダリースクール」に無試験で進む。義務教育の年数は日本とほとんど変わらないが、教育の理念や目標、授業の内容といったものは、日本とかなり異なっているようだ。
オーストラリアの義務教育は日本より1年早く始まるが、最初の年は小学校1年生ではなくて、オージー英語でキンディー(Kindy)と呼ばれるKindergarten(日本の幼稚園年長組)ということになる。
しかし、小学校の校舎の中に教室があり、制服も同じ、登下校の時間も同じ、学校の行事も一緒なので、実質的には小学校とかわりないとも言える。
州政府ごとに定めるカリキュラムは大まかな枠組みだけで、学校の教育理念や方針、授業内容などについては、各学校というより校長の裁量が幅広く認められている。学校ごとに具体的なカリキュラムが決められ、教材選び、授業の進め方や教え方などは、教師独自の判断に委ねられるところが多い。
また、小学校には規格統一された教科書がない。教科書を学年別、教科別に配付する日本とは全く異なる。実は、娘が入学するまで、この「教科書が渡されない」ということは知らなかったので、ずいぶん驚いた。教科書なしに教師がどのように授業を進めるのか、また、子どもがどんな内容を学んでいるのか、親が把握する手段がないのではないかと、ずいぶん不安に感じたものである。
教科書を使わない教育の目的は、それぞれの子どもに合わせた教え方をすること、いわゆる子どもひとりひとりの個性や、得意・不得意に合わせた教育を実践しようというねらいがあるためだ。教師の独創的な考え方で、子どもの到達度に応じた教え方をしていかないと、子どもはストレスを感じ、学習意欲もなくなり、才能も伸びていかないという考え方が根本にあるようだ。各クラスに時間割りはあるものの、勉強の進み具合で変えたりできる大まかなものなのだ。
さて、娘と息子が通う小学校は公立で、児童数は約300人。キャンベラでは普通の規模の小学校である。時間割りもあり、科目の区別も一応はあるが、子どもたちが興味、関心を持てるように、総合的な学習をさせることが多い。
例えば「水」がテーマだとする。まず、天気による水の循環を勉強し(理科)、キャンベラの地形を調べ、川からどのように水が流れてくるか地図を作る(理科・社会)。それが各家庭の水道までどうやって流れてくるかを調べポスターを作る(図工)。また、家庭で1日にどれぐらい水を使うのかを表にして(理科・算数)、1週間ではいくら、1年ではいくら、キャンベラの全世帯ではいくらかを計算する(算数)。一方で、水をテーマに詩を作ってみたり(英語)、水道局から人を招いて話を聞く・・・。
このように、一つのテーマについて、いくつもの科目の勉強ができることになる。知識を断片的なものとしてではなく、実際の生活に関連させて学ばせようとするのだ。
しかし、この総合的な学習には良い点がたくさん見いだせる反面、子どもの読み書きや計算などの基礎学力が十分に身につかない、といった心配もある。実際、子どもたちの理解度、能力にはばらつきが大きく、問題も残されているようだ。
ただ、日本では、幅広い知識を教科書から学び、知識を優先する入学試験などが行われるが、オーストラリアでは、知識を暗記するより、内容を正しく理解したうえでの判断力、応用力が重視されるという特徴がある。教育観の根本的な違いがここにある。
教科書を使わない学習では、子どもの能力や興味に合わせた授業を手作りする教師の創造力、柔軟性といったものが要求される。いい教師との巡り合いが子どもの将来を左右するといっても過言ではないと思う。
また、学校によってカリキュラム、教育方針などがかなり異なるので、こちらの親は学校選びも熱心である。入学前にいろいろと情報を集めたり、また、自分たちで実際に学校を訪問し、校長先生に会って相談したりもする。
引っ越しをしたわけでもないのに、ほかの学校の方がカリキュラムが優れている、というような理由で、学期半ばで子どもを転校させる親もいるのは、こんな事情からだとも言える。
うちの2人の子どもが通う小学校では、毎週木曜日に「ニュースレター」を発行している。その中に各クラスの学習内容が詳しく紹介されているし、また、宿題を通しても、親は自分の子どもが今、どんな勉強をしているのか分かる仕組みになっている。
また、各学期の終わり頃に「学習サンプル」というファイルを家に持ち帰るが、それは学期中に学んだ中から上手に描けた絵、作文、算数のプリント、理科の実験の説明文などがまとめられているもの。それを子どもと一緒に見て、子どもの感想、親の感想や意見、先生への要望などを書いて学校に返す方法もとっている。
「科目ごとの教科書がもらえない」という不安、心配は、娘が入学してまもなく一掃されたのだった。
当エッセイは日豪プレス2000年2月〜7月に連載されました。今回、ご本人よりお寄せいただいた同原稿をもとに豪州屋にてHP作成&再公開したものです。
