まき子の「オーストラリア育児・教育あれこれ」
個性・能力に応じた教育
日本の小学校では、2002年から新しい学習指導要領に基づく教育が始められる。それに先駆けて、オーストラリアの小学校でよく行われている授業---教科の区別がない「総合的な学習の時間」もかなり取り入れられるようになってきている。
ゆとりある教育、さらに、個性を重視し能力に合わせた教育を実践している小学校の模様を別の角度から見てみたい。

娘(小学6年)と息子(小学4年)が通っている小学校の児童数は約300人。キンディー(Kindergarten)から6年生まで12クラスあるが、仕切りのない大きな教室を2クラスずつで使っている。
教室の大きさは、日本の小学校の4倍ほどある。机や椅子が並べられた所、ウエット・エリア(Wet Area)と呼ばれ、水道や流しがあって絵の具や粘土などが使える所を除いても、まだかなりの広さがある。
キンディーの児童数は1クラスが20人ほどで、高学年になっても25〜28人ほどの少人数でまとめられているので、2クラスが一緒に教室を使ってもスペースにはまだまだ余裕がある。日本の学校に比べたら非常に恵まれた環境と言える。
さて、この「大きな教室での2クラス授業」だが、隣のクラスの声や音がじゃまにならないのか、子どもたちが集中できるのか、別々の授業が成り立つのか・・・と、最初は心配だった。しかし、授業の仕組み、教室の使い方、教師の役割、子どもたちの学ぶ姿勢といったものを見てからは、問題どころか、利点の方が多くあるように思っている。
例えば、2クラスの担任教師2人が50人ほどの児童に一斉に授業をすることもあれば、集団を2つに分け、2人の教師が別々の科目を教えることもある。集団は、子どもの関心や能力、学習のねらいなどに応じて全体としたり、少人数のグループに分けたりと、変幻自在。
また、教室も広くオープンスペースなので、机を4つずつ、また6つずつにまとめたり、フロアに円座を組んだり、グループ討論ではまさに膝を突き合わせて意見を交換したりと、目的に合わせていろいろな形態をとることができる。
少人数のクラス編成、教室の数の関係からか、学年が混じった複式学級が今年は2クラスあるが、学級、学年を超えた授業をすることが多いので、担任の負担が増えたり、子どもの能力の差があってまとめにくいといった、複式学級の弊害は特に感じられない。
日本の小学校と違う点はまだまだたくさんある。飛び級や落第があることもその一つ。オーストラリアでは、子どもの発達段階や適性などを考慮し、学校と保護者の話し合いで、落第させることも決して珍しくはない。
一方、成績が優秀な子どもに対してのカリキュラムもある。例えば、4年生でも算数の得意な子どもは、5年や6年の算数の授業に入れてもらったり、3年生では、"Extension Course"といって、算数の優れた子ども10人ほどが、週に1時間、算数担当の教師から普段よりレベルの高い内容のことを教えられるなど、得意な科目の能力をさらに伸ばす手段が取られている。
また、授業についていけない子どもに対するサポートも整えられており、自分のクラスの授業をぬけて専門の教師から補習を受けたり、読み書きの遅れている部分を個人レッスンで教えてもらったりすることができるのだ。
このように、小学校の低学年から落第があったり、能力別にグループに分けられたり、個人レッスンのサポートを受けたりすることに対して、親からの苦情や子どもからの反発がないものかと、日本人の感覚では心配になる。
しかし、オーストラリアでは子どもたち自身が、幼い時からのしつけや教育を通じて、それぞれ個性や能力に違いがあるということを理解しているためか、特に問題になっていないという。個性を尊重し能力に応じた教育ーーこういった教育こそが理想なのではないかと思う。
授業中に子どもたちが歩き回って席につかない。大声での私語をやめない・・・。日本の小学校では「学級崩壊」が大きな問題になっており、教師の休職や早期退職などが目立って増えているようだ。「学級崩壊」の実例や調査を通して、解決の方法を探る連載や特集記事も各新聞で多く取り上げている。先日、何人かの有識者を集めた討論会の記事を読んだが、「学級崩壊」の対策として次のようなことが挙げられていた。
- 複数の教師で指導するチーム・ティーチング
- 教師同士で得意教科を分担する交流授業
- 学級をグループに分ける少人数指導や個別指導を進める
- 父母や地域住民のボランティアを招き、授業に参加してもらう
- 教科書を脇役とした、子どもの興味や学習のねらいに合わせた総合学習的な授業
5項目をまとめてみたが、前述の小学校ですべて実践されている事柄だということに気がつき思わず納得・・・。この小学校では「学級崩壊」はありえないからだ。学校側では教室で守るべき最小限の規則(*)は徹底して教え込んでいる。だが、細かな規則で縛ることはなく、教師と子どもが自然体で学び合っている。子どもたちは恵まれた環境で、実に子どもらしくのびのびと育っている。
新聞では「学級崩壊」の原因として、子どもの感性とすれ違う授業、時代に合わない学校のシステム、子ども同士や家庭、地域の人間関係の希薄さ、といったことも挙げていた。深刻な状況から抜け出し、学校を生き生きとよみがえらせる手立ては果たしてあるのだろうか。暗記や計算の練習をくり返し、受験のための勉強では「何のために学ぶのか」は見えてこない。学級、学校はどうあるべきか、「学ぶ」事の意味を根本から考え直す時期なのではないかと思う。
*教室でのルール
- One speaker at a time ・No physical contact
- No running inside ・No bullying/violence
当エッセイは日豪プレス2000年2月〜7月に連載されました。今回、ご本人よりお寄せいただいた同原稿をもとに豪州屋にてHP作成&再公開したものです。
