移住ビザ取得体験記豪州屋の場合

By 豪州屋

まずは、オーストラリア情報ソース、豪州屋便利帖をご覧頂きまして誠にありがとうございます。

運営委員の内田和辰(うちだかずよし)と申します。1964年生まれ、東京都在住です。豪州屋といっても実際は私一人が情報収集委員、HP制作委員、運営委員等を兼務しています。今後もごひいきに。

私が独立移住ビザを取得したときの断片的記憶

いつ取得したか。

25歳になる直前にコンピュータ技師のカテゴリーで独立移住ビザを取得しました。母子家庭で育ち(うっ泣けてくる殺し文句!)金に困った貧乏学生で、大学へは自分で稼ぎながら通っていて、工学部でコンピュータ関係だったので、そのころからアウトソーシングと言う言葉があったかどうかわかりませんが、最初はアルバイトしていたソフト会社から次第に本格的に仕事をもらったりして稼いでいました。バイトがバイトを雇って小さな会社らしきものを大学卒後も運営していた記憶があります。(その頃の稼ぎは今より多かったのが悔しくてたまりません。)

それはさておき、比較的若い年齢でビザを取得できたのも、学生時代から労働にいそしみ、即戦力になる技術をつけられたのがよかったのかと思います。こういう経験ができたのも、当時は仕事があふれていたからで、今の学生さんには申し訳ないが、その頃理工系の学生には一人あたり200社くらいの求人があったような気がします。時の運がよかったんです。

移住の動機

あまり参考になりませんが、そもそも何故オーストラリアになったかと言うと、父がまだ生きていたころ、ある日大きな地球儀を買ってくれまして、その地球儀を回しては父が仕事で行ったことのある国について説明を受けたことがあり、このとき父から説明がなかった国の1つがオーストラリアで、そのころから大変気になっていて、自分で稼ぐようになって初めて行った海外旅行がオーストラリアであったということからはじまります。話せば長いので略。(妻にも話さずにいる)。

申請時の体験

豪州屋HPをご覧いただければ、移住に関しての情報を簡単に取得できますが、当時1988年頃は(24歳頃)インターネットなんて普及してないし、豪州に知り合いもいないし、、ビザのコンサルタントなんてもっての他知らないし、全て一人の足で情報を集めました。申請書をもらって実際申請するまでに1年かかりました。大使館に行っても対応するお姉さんが怖いし(全部とは言えない。でも、きれいで素敵な人がいた:今もいるのかな?)結構孤独でしたね。でも絶対取得できる自信だけはなぜかあったのは今思えば若いせいだったからかなと思い出します。

取得後の豪州屋

申請からちょうど6ヶ月で予定通りビザがおりました。就職先については、お仕事しながら私はオーストラリアに行くんだと豪語していた関係で、それを知った仕事をくれる会社の偉い方が、「同期入社の仲間が現地法人の所長をしているから紹介する」と言われ、その方の勧めでビザ取得後の就職先は豪州のコンピュータ会社と半分決まっていました。

しかし、話の展開はここから大きく変わります。母親があまりにグータラな私をみて、「親戚がオーストラリアで仕事をやっているから(実際は親戚ではない)一度その人に会ってみなさい」と言われ、なんと母親からの紹介で会うことになりました。豪州の不動産開発を行う会社の社長で私より4つ年上なのに大変パワーがあり、あららという間に社員にされてしまいました。ビザがおりる2週間前です。

まぁ、同じオーストラリアの仕事だからいいやと思い、それから6年間オーストラリアでプロジェクトに参加しました。その間、豪州のプロジェクトについても勉強したいと、現地の大学院でプロジェクトマネージメントというものを勉強したり、仕事の関係で従業員を300人以上雇い入れたり、かと思えばクビにしたり、そのころの経験が今の豪州屋便利帖の土台となっています。

蛇足ですが、現在豪州屋は東京で暮らしています。仕事はオーストラリアとの貿易関係ですが、いまとなってはインターネットで十分に情報収集できるので、仕事パートナーを豪州に残して家族で引き上げています。妻はあまり豪州については関心がないようで、「結婚相手がたまたま豪州で仕事していたので自分もついてきた」程度にしか思っていないようです、美術館巡りが好きで、「有名絵画は日本では沢山鑑賞できる」と満足しています。そんなもんです、現実は

まとめ

豪州屋の体験は置いといて、日本国内の豪州政府機関は移住に関してはおおっぴらに情報公開していません。事情はなんとなく推測できますが、それは別として、現在は豪州の移民局サイトで情報が入手できるので活用しましょう。

また、独立移住に関して極論すると以下の人達は申請できる可能性があると豪州屋は想像します。(検証はしてません)

  1. 理工系の学部を卒業して関連の仕事に就職した人(コンピュータなど)
  2. 3年以上の仕事経験があること
  3. 英語をそこそこ話すこと

ちなみにご自身のコンピュータスキルが豪州ではどれ位に評価してくれるかのサイトはこちらを参照しましょう。Australian Computer Society

つまり、外資系コンピュータ会社に勤めている人たちの中には結構ポイントが高い人達も多くいるんではないかと思います。でもほとんどの人は独立移住ビザなんて知らないだろうなぁ。もちろん上記以外の人でも資格はあると思いますので、豪州屋便利帖で調べてみるなり、専門家に相談してみるなりしてください。

追補: 問題なくオーストラリアに適応できることを証明するために自分がしたこと

実際に書類審査(そのころ1次審査と自分では呼んでいた)をパスして本国に申請書が送られるということは、ある意味で基準をクリアしたことになるだろう、、、つまりその後は他国の私と同じような申請者に比べ新移住者としてスムースにオーストラリア社会に溶け込めるかどうかが審査官の判断のポイントになるのではないかと思ったわけです。

そこで豪州屋は少しでも審査材料となる資料を提出するために@豪州での就労先(見込み先)がある。A友人・知人が住んでおり右往左往しないで済む。B英語に関して問題がない。C仕事においても技術力がある。に関する資料も用意して申請書と一緒に提出した記憶があります。(注:現在は受け入れられるかわかりません)

  1. ビザが取れることを前提に豪州企業数十社に手紙を出し、移住後に面接に応じてくれると連絡のあった企業の手紙を添えた。(今思えば結構過激なことですね)
  2. 実際に採用してもいいよという企業からレターをもらった。(雇用指名でなく)
  3. 以前留学した際にお世話になったオーストラリア人から「困ったら出来る限り友人として協力する」旨の英文レターをもらった。また、移住直後の宿泊先として了解してもらった。
  4. 東京都内の来日外国人旅行者ツアー会社に3年勤め、外国人との英語コミュニケーションを日々とっていることで、異国での適応性に関するレターを書いていただいた。
  5. 仕事においては、勤め先の直属の上司、ジェネラルマネージャー、社長の3名から個別に推薦書をいただくことができた。技術評価、人事総務評価、人間性を評価していただく。
  6. 大学の担当教授に相談し、推薦書を書いていただいた。また、英語担当教授にも学生時代の英語成績をもとに推薦状を書いていただいた。(理工系の大学だったため英語はみんな勉強しないので、たまたま豪州屋は移住を目指して必死に勉強していたので先生が憶えていてくださった)

ということで、とにかく不確定な要素があれば時間をかけひとつひとつクリアする努力だけは続けました。思い返せば、そのころの皆様の協力がなければ今の自分はないだろうということになります。

ビザ取得した年齢は24歳の時だったので、多分かなり若い年齢で取得したんだなぁと思い起こします。そりゃ大学生のころから準備していたんだから早く取れるはずだけど。まぁ技術力と英語力を一度に評価してもらうために、昼も夜も週末もなく働き続け、今考えるとかなりムチャクチャな青春期でありました。 でもビザはあくまで「自分の将来を自分で自由にを決めるための選択肢」のひとつであって、本番は実際は移住してからどう生きていくかにかかっていたわけです。つづく、、、

そういえば次のページでもVISA(移住)についてのウンチクがあります。

ほんとのまとめ

こうして豪州屋便利帖があるのも、私がビザを取得したことで、オーストラリアは日常生活においても、仕事においても切り離せない存在になっているわけで、ある意味では豪州に少しでも恩返しをしたい気持ちでいっぱいであります。

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