豪州屋にとってのオーストラリア移住

By 豪州屋

豪州屋も永住ビザを持つ一人でありましてその取得の際の記憶は簡単に(こちらで)整理しています。 24歳の時には取得していましたので、かれこれ12年以上経ってしまいました。 いわゆるコンピュータ技術者としての独立移住です。現在はというと数年前にオーストラリアと日本に会社を設立して細々と貿易の仕事を営みながら、新しいことにもチャレンジしています。

こうしてオーストラリアを相手にして仕事がはじめられたのも、 ビザ取得後に参加したオーストラリアのお仕事を通して(大規模リゾート開発で300億円くらい使ったかな)、多くのオーストラリア人と知り合い、ケンカもし、雇い入れることもクビにすることも、数百社に及ぶ取引先とのお付き合いもできたからと思っています。ケリーパッカーとポロの試合もしたなんて経験もあります。仕事というと土日も休みなく毎日15時間労働で結構今思えばムチャクチャな仕事ぶりでした。(ちなみに豪州屋は経営企画室で収支分析や財務分析、予算管理を担当)今言うのは何ですが、そのプロジェクトが将来的に自社で永続させることが難しいことは、続けたくても日本経済が許さないことにより百も承知だったので、その期間にこのプロジェクトを通してオーストラリアの本音と建前、多くのビジネスマンの実力など、自分のものとして吸収できるかを考えていたのも事実です。オーストラリア流ビジネスの風土の本質を調べてみたいと、現地の大学院でマネージメントを学んだりして、教授や仕事外の友人とも交流を行ったこともありました。

さて、その後プロジェクトが終わり独立して自分自身で仕事を始めたことで豪州屋にとって永住ビザというものの意味合いがだいぶ変わってきました。そりゃ24歳の時は海外で活躍してみたいという気持ちもありましたし、20歳後半は日本の電車通勤のサラリーマン仕事で人生を終わらせたくないなんて自分なりに否定的に日本を捉えていました。つまり、サラリーマンとしての会社組織の枠の中から日豪を見ていたわけです。

独立後、自分でいたければいくらでもオーストラリアにいれたわけですが、初めて組織の一員から自分一人になって、大事なことに気がつきました。それは20歳半ばから30歳過ぎまでの期間はほとんどオーストラリアにいましたので、仕事を始めようにも日本のネットワークがあまりにも乏しいという点でした。つまりこのままオーストラリアにいれば日本との仕事は指をくわえて待っているしかない状態になってしまうだろうと考え、では自分自身で日本のクライアントを獲得してくるしかない!ということで日本に移り住むことにしました。はじめからオーストラリア企業に就職すれば日本に戻ることもなかったでしょうが、商売をはじめるからには自分が日本人であり日本語がわかるという特徴と日本という巨大なマーケットを捨ててまで豪州内だけのビジネスに参加する動機はありませんでした。もちろん日系企業へ就職という方法もあったでしょうが、もともと少ない雇用機会に対して自分が求める仕事ができるかと問い詰めると、自分でビジネス始めたほうがいいという答えがあっさりでてきたのであります。つまり要は豪州屋はお仕事大好き人間?でいくらインターネットが普及しても、お金が集まるところに人も集まり仕事も集まる市場の原理を否定してまで自分の居場所をオーストラリアにする理由がなかったのです。

本題に戻りますが、オーストラリアが豪州屋に永住権を与えてくれた理由は「こいつはオーストラリアに貢献してくれて、税金も払って、悪いこともしそうもない」ということであったと思っています。

今思うとこれは豪州屋が日本にいてもできることだなと思っています。いわば日本企業から仕事をもらう御用聞きのような仕事ですから、豪州屋からの連絡を心待ちにしている豪州企業が沢山あるわけで、かれらにとっては悪でなく、いて有り難い存在となっていると思っています。もし移民局が「お前は日本ばかりいるからビザの再発行はしない」とします。恐らくオーストラリアのメーカー群や関係機関はその正当性を証明してくれるものと思っていますし、実績も十分にあげてきたと思っています。 

というわけで、オーストラリアに住むこと自身がビザ取得の目的でなくなってしまい、オーストラリアが好きだから豪州関係の仕事やライフスタイルを自分が何処にいようがエンジョイしたいという気持ちになっているのであります。(時々勘違いされますが、豪州屋便利帖も日本でつくっています)

要は、ビザを取得すること自体が目的ではなかったというお話でした。チャンチャン

キャラクター